【小説家になろう】土御門靖虎のキンドル本日誌

「小説家になろう」「Kindle KDP」で小説を発表している土御門靖虎のブログです。

2020年05月

2020年1月と2月は、何冊もキンドル本を出しました。
3月も、あと3万字書けば完成する小説があったのですが、途中でモチベーションが切れました。
毎日、小説を書いて疲れたというか、或いは、脳からのアウトプットが続いて、インプットが必要になったというか……。
気づけば、二ヶ月が過ぎていました。

一応、『とあるワナビの小説技法』に一文足し、『隣の人妻は元AV嬢』の〝〟のミスを修正しました。ここ二ヶ月でキンドルを弄ったのは、それ位です。

まぁ、二ヶ月なにも創作活動をしなかった訳ではなく、小説のプロットを同時に三本くらい進めてました。
西洋を舞台にした小説を書くために、欧米人の基礎にはキリスト教があるので、自分自身は無宗教なのですが聖書を読むことにしました。最初、文字のほうの聖書を読んでいたのですが、長すぎて挫折。
聖書の文体も文学的ではありませんし、内容が頭に入ればいいので、まんがで聖書を読むことにしました。これがまた、旧約聖書だけで500ページを超えてる。漫画なのに。
旧約聖書の創世記第19章後半、実の父親に酒を飲ませてセックスして子供を身籠る娘『ロトの子を身籠る姉妹』の話は、漫画では端折られてました。『時計じかけのオレンジ』の中で主人公アレックスが刑務所の中で聖書を読んで昂奮するシーンがありますが、『ロトの子を身籠る姉妹』の部分じゃなかったかな? 聖書の中では、ほかにもエロいシーンが幾つも登場するので、違うかもしれません。
小説を書くために、映画も沢山観たし、まだ、レニ・リーフェンシュタールの記録映画を観ていません。これって、絶対にスターウォーズの帝国軍のモデルだよなぁ。

小説のプロットの方は、段々と固まってきました。
おおまかなストーリー展開のほうですね。

5月に入って、小説の冒頭3千字まで書いたのですが、調子が出ず。
Web小説(ノクターンノベルズ)だと、基本的に毎日連載なので、原稿を寝かす時間の余裕がありません。
というか、官能小説の濡れ場の書き方を忘れている。二ヶ月のブランクはこれが怖い。

イスラム教の教義では、女性は外を歩く時は髪を隠すヒジャブというスカーフのようなものを着用する。
もっと厳密な地域では、ニカーブという顔全体を布で覆い目だけ見せるもの(フランスの法律で禁止された)や、アバヤという目と手足の先以外をすべて隠す衣装もある。

ところで、インターネット上でヒジャブを着用して室内でセックスをしているポルノ映像を目にすることがあるが、これはおかしい。

なぜならば、イスラム教徒は家の中ではヒジャブを脱いで髪や顔を見せても良いことになっているからだ。ヒジャブをつけながらセックスはしない。

これは、イスラム教徒ではなく、それ以外の文化圏に向けて作られたポルノであろうと思う。

実際の所、全裸になってしまったら、イスラム教徒かどうか、見た目では判断がつかない。
そのため、イスラム教徒のシンボルとして、ヒジャブをつけてセックスをしている。
裸を嫌うイスラム教徒に対して、背徳感を煽る目的もあるのだろう。

一方、日本はというと、今も混浴文化の残る国であり、祭りではふんどし姿で男が神輿を担ぐ。
相撲も、まわしだけの、ほぼ裸である。

キューバのグァンタナモ米軍基地で、日本人収容者を全裸にしても拷問にならない。

小説、なかでも純文学は映像化できない作品が多いです。
芥川賞受賞作でも映画化されていない小説がゴロゴロある。
それは、一人称の主人公の心情を掘り下げることが重視されていて、印象に残るシーンや、絵になるシーンが少ないことが一因です。

僕の場合、まず頭の中に映像が浮かんでいて、それを言葉で描写していくという書き方です。でも、そうでない作家も(アマチュアやプロの境目なく)多い。

僕は小説も読んでいたけれど、昔から映画が好きで、画作りやストーリーや演出は、映画から学んで小説に反映させている部分が多い。

僕の小説は映像化しやすいと思う。特に家出女子高生を拾う話『野良猫』は映像化し易いように思う。

ただ、幾ら映画を沢山観ても学ぶことが出来ないスパイスのようなものがあることに気づいた。
映画を観て、物語の組み立て方を学ぶことは出来るのだが、心情の描写を深く掘り下げることが出来ない。

山田詠美の『ぼくは勉強ができない』は正直凄いと思う。
高校の読書感想文の課題図書に選ばれたりもしているようだ。
(あの本を課題図書にするのも、教育上些かどうかとは思うが……)

映画では学ぶことの出来ない、恋愛の心情を描くエッセンスが山田詠美の小説には詰まっていると思う。
川上未映子も女性の心情を深く掘り下げているが、恋愛のベクトルではない。

読んで、何も残らないような小説ではなく、読者の心に響く小説を書きたい。

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