「童貞の書く小説がいちばんエロい」という説があります。これについて検証していきたいと思います。
逆に、童貞の反対は何でしょうか? モテ男、ヤリチンなどと呼ばれる人たち、所謂、千人斬りなどを自慢する人が童貞の対義語でしょう。
そういう、ヤリチンがなぜ女性経験の人数が多いかというと、セックスの対象とする女性の敷居がとても低い、ということが挙げられるでしょう。
考えてもみて下さい。千人の女性と性交渉を持ったと仮定して、その千人全員がレースクィーンやグラビアアイドル並のルックスを兼ね備えているでしょうか? 確率的にあり得ないですよね。
ナンパ本には「ブスに可愛いと耳元で囁くとやらせてくれる。ブスは褒められた経験が少ないから、直ぐ落とせる」などと書いてあります。平たく言えば、穴があれば何でもいい、ということです。
そうしたヤリチンが小説を書いたとしたら、中年陰キャの独身女と五反田の安いラブホでヤッた、なんていう夢の欠片もない小説を書くことになります。ヤリチンにとって、女は質より量なのです。
それに対して、童貞は理想の女性を頭の中で色々と妄想している訳です。
高嶺の花とセックスすることばかり考えている。そこで登場するのがチート能力ですね。非モテでキモいオタクでも、チート能力を使えば処女で美少女の学級委員長とセックスできる。そういうSF的な、現実にあり得ない能力で、謂わば相手を騙して肉体だけを得ようとする。
私は、ここがWeb小説の長所でもあり、弱点でもあると考えています。
女性と付き合うには、相手と心を通わせる(落とす)までの〝過程〟が一番楽しいのです。醍醐味と言ってもいい。
女性は男性に対するガードが硬いです。それはもう、シューティングゲームのボスキャラのように硬い。
これは、優秀な遺伝子を残す、という本能に適った行動です。
ダメな遺伝子ばかり増えたら、人類は絶滅してしまう。
逆に男性側は、仕事の出来る男性ほどテストステロンというホルモンが多いと言われています。また同時に、テストステロンというのは、浮気を誘発するホルモンでもあります。これもまた、遺伝子の働きから考えたら理に適ったことです。優秀な男性の遺伝子を増やせば、人類という生命体が、より強固になります。石田純一さんなんて、テストステロンが多そうですね。早稲田卒で頭もいいし。
童貞が書く小説は、その一番楽しい過程を省いてしまっている。というか、正確には書けないんですね。女性と付き合ったことのない童貞だから。だから、チート能力で書けない所をすっとばしてる。
どうすれば女性にモテるかというと、これは『天空の城ラピュタ』に登場するパズーが、無類の女たらしです。パズーがシータと会話する(アプローチする)シーンに注目すると、実に女心を掴むのが上手い。
でも、女性と付き合った経験がないとパズーの真似はできない。
それと、小説の特性も関わってきます。
映画やドラマやAVは、視覚と聴覚の情報しかありません。意外と不自由です。漫画に至っては聴覚さえない。視覚のみです。
その点、小説では触覚、味覚、嗅覚を言葉で表現できる。村上春樹のように卓越した比喩表現もできる。これは映画やドラマやAVでは成し得ません。
小説ならではの五感に訴えかける表現をすることが出来れば、映画やドラマやAVでは伝えられない感覚を伝えることが出来ます。
ここで、フランス書院の読者層は40~60代の男性会社員が多いと言われています。つまり、結婚していて子供もあり、女性経験も、まぁ少なくとも4~5人くらいはある読者が大半でしょう。
ところが、童貞は女性の身体を知らない訳ですから、そうした女性の触覚、味覚、嗅覚を知らない訳です。具体的には、乳房のもみ心地や女性器に指を挿れた経験、愛液の味やベロチューの舌がもつれ合う感覚、女性特有のフェロモン、そういったものを知らない訳です。童貞は、女性の触覚、味覚、嗅覚を知らないから書けない。フランス書院文庫の読者層からしたら、肩透かしというか、読んでいて醒めて(萎えて)しまうことでしょう。彼らはそれらを熟知している訳ですから。
「童貞の書く小説がいちばんエロい」という説は、ある意味、正しいと思います。理想の女性を心に思い描く、という点については優れていると思います。官能小説で魅力的な女性を描くことは評価の対象となります。
ただ、そこから先が問題です。狙った女性とお近づきになる、一番楽しい部分が省かれている。更に、女性の触覚、味覚、嗅覚を知らないから書けない。此処が童貞の妄想力の限界です。現実には勝てない。
童貞が書いたエロ小説を喜んで読むのは、読者が童貞の場合に限られるでしょう。お互い、知らないもの同士なら誤魔化せる。ジュブナイルポルノなら誤魔化せると思いますが、そこから先は難しいでしょうね。
ラノベの新人が1冊で終わりというパターンが多いのも頷けます。